前ページ「抗うつ薬の作用について」にて,抗うつ薬(SSRI・SNRIなど)には,急性の効果としてはセロトニンやノルアドレナリンの再取り込みを阻害し,シナプス間の神経伝達物質(セロトニンなど)の量を増やす働きがあることを説明しました.
ここでは更に,抗うつ薬を使用することで神経細胞の中でどのような反応が生じ,シナプスや神経細胞にどのような影響を及ぼしているかについて,近年の研究・仮説を紹介しようと思います.
今回注目するのは図1の赤で示した箇所,細胞体内の核での分子生物学的な反応や,樹状突起上に見られる抗うつ薬治療の効果に関する研究例です.
神経細胞間の情報伝達は,シナプスという継ぎ目部分で,前の細胞が神経伝達物質(セロトニンやノルアドレナリン,アドレナリンなど)を分泌し,後ろの細胞がそれを受けることで行われます.その伝達のようすは一定不変ではなく,使われれば使われるほど効率が増したり,樹状突起などが枝分かれして数自体が増えたりします.
逆に使われなければ効率が落ち,活性されていたシナプスや神経細胞そのものが弱体化・消失してしまうこともあります.これを『神経の可塑性』と呼び,活性化されることで神経細胞が新生(弱まってしまったものも,再び神経が作られる)されることが分かってきました.
余談ですが,神経が消失してしまったり,シナプスが減少すれば,セロトニン等の伝達がされなくなり,うつ病やメンタル疾患の状態になります.うつ病症状に『集中力の低下』や『記憶力の低下』があるのはこのためです.以前は多くの動物の脳の神経細胞は再生しないと考えられていましたが,最近の研究により脳は死ぬまで新しい神経を新生していることが明らかになってきました.
また,科学雑誌で有名なSCIENCEで次のような動物実験の報告がされました.『海馬神経細胞の新生は抗うつ薬の挙動効能に必要である:Requirement of Hippocampal Neurogenesis for the Behavioral Effects of Antidepressants』(Santarelli et al.,2003).
この論文では,マウスの脳内海馬にX線を照射した場合,SSRIの長期投与(fluoxetine=海外で認可されているSSRIのプロザックと,imipramine=第一世代の三環系抗うつ薬のトフラニールを2週間以上投与)による抗うつ効果がなくなることを確認しました.つまり逆に考えると,抗うつ薬の治療メカニズムには,海馬における神経新生が重要であることを示唆しています.
さて本題ですが,抗うつ薬によってセロトニンやノルアドレナリン(ノルエピネフリン)が増加すると,図1で赤く示した細胞体内の核では図2のようなシグナル伝達が行われます.
核にあるCREB(cAMP反応性配列結合蛋白)が促進され,脳由来神経栄養因子:BDNFなどの遺伝子発現が増加します.それによって,神経の可塑性や神経新生などが上昇し,抗うつ効果につながるのではないかと示唆されています(Hashimoto et al.,Brain Res Rev.2004 ).
図3.うつ病患者の海馬錐体細胞におけるBDNFの役割
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次にこのBDNFがうつ病患者さんの海馬錐体細胞(図1の細胞体内)において,どのような役割をしているかを紹介します(図3.Nestler et al., Neuron, 2002)
<図中英単語>
BDNF:脳由来神経栄養因子
CREB:cAMP反応性配列結合蛋白
Monoamines:モノアミン=セロトニン,
ノルアドレナリン,アドレナリンなど
Glutamate:グルタミン酸
Glucocorticoids:グルココルチコイド
Normal state:正常な状態
Depressed state:うつ病の状態
Treated state:治療後の状態
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| 正常な場合,BDNFやモノアミンなどが核内のCREBに作用して,BDNFを生産され,樹状突起にもたくさんのシナプスが接続されます. | |
ストレスがかかると,BDNFなどの減少によって生産されるBDNFも減り,樹状突起の減少がみられます.そのためシナプス接続の数が減少します. |
| この状態を抗うつ薬や電気痙攣法などで治療すると上図のように改善され,BDNFも樹状突起も増加してシナプス形成が促進されます. |
図3から分かるように,うつ病状態になるとシナプスを形成するための樹状突起が減少します.そして治療によって回復します.厳密にはBDNFの増減と樹状突起の増減のどちらが原因か結果なのかは特定されていませんが,うつ病にBDNFが関与していることは動物実験や画像研究などから明らかになっています.しかしながら,人において実際どのようになっているのか,という研究はあまり進んでいません.
そこでShimizuら( Biol psychiatry,2003)は,脳内でなく人の血清中のBDNF量を,目安として比較測定しました.実験内容は,未治療のうつ病患者さん(16人),治療中のうつ病患者さん(17人),健常者(50人)の血清中のBDNFを測定し,比較したところ,未治療の患者さんの血清中のBDNF濃度は健常者と比べると有意に低い値になりました.
また治療することによって,未治療の患者さんよりもBDNFが増加することも分かりました.こういった研究から,将来血液検査でBDNFを測定することで,うつ病かどうか?治療効果は得られているか?等の,バイオマーカーとして使えるのではないかと考えられています.
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